小説
この腕の中に
横島が見習い時代も含めて、GSになってから五年。
彼は未だに、美神除霊事務所に勤めていた。
一応高校卒業後は正社員待遇で、給料もそれなりに貰っている。
美神除霊事務所は、所長の意向により、以前の五人体制のままだった。
所長の美神令子は、個人経営の事業主としては破格の蓄えがある。
彼女にとっての仕事は、あくまで趣味の延長線上でしかない。
そのため、規模の拡大で自らの役割が経営のみになるのを嫌ったのだ。
そのため横島は、唯一の男手として、力仕事全般を任されている。
要は、丁稚時代とやる事は何ら変わっていないのだった。
ただ、知識についてはそれなりのものを持ち得る事ができていた。
そのため、厄珍堂などに除霊道具の買い付けをするのも、彼の役割となっていた。
そんな彼が、経費削減の一環として目を付けたものが有る。
それは、魔鈴めぐみという女性の、魔女としての知識だった。
魔鈴めぐみは、稀代の魔女として知られていた。
彼女がメインにしている仕事はレストランの経営だが、悪霊退治も副業として行なっている。
また、ICPO超常犯罪課――通称オカルトGメンの協力者としても知られていた。
横島は、魔鈴めぐみの人の善さを見込み、除霊道具の作成を依頼した。
そこに男としての下心がなかったかといえば、否とは言えないかもしれないが。
金銭にさほど興味のない彼女は、二つ返事でそれを承諾したのである。
彼女の作る簡易魔方陣や、その他細々とした道具は、大いに役に立った。
価格も良心的で、金にうるさい美神も、充分に満足するものだったのである。
魔鈴めぐみに対する道具の作成依頼は、一貫して横島が行なっていた。
理由の一つとしては、地理的なものがある。
美神除霊事務所より横島のアパートの方が、彼女の経営するレストランに近かったのだ。
また、もう一つの理由としては、道具が重くかさばるという点がある。
横島は手間を省くために、一度に大量の道具の発注を行なっていた。
そのため、女性の力で運ぶには、若干無理があったのだ。
身体能力に優れるシロならば、可能だったかもしれないのだが。
もちろん、唯一自動車免許を持つ美神が車で取りに行けば、それで済んだ話ではある。
だが、魔鈴と顔を合わせるのを嫌った彼女は、それを拒否したのだ。
横島が魔鈴とデキる可能性は低いと踏んだ事も、理由として挙がるのだろう。
こうして、現在に至る状況は形作られたのである。
魔鈴のレストランは、従業員を雇って業務の拡張を図らないという点において、美神除霊事務所と経営方針が一致していた。
営業におけるスタンスが、オーナーの趣味に比重が傾いているという点においても、だ。
夜になれば除霊の仕事も入る関係上、レストランは夜八時までの営業となっている。
そして、親しい人とゆったりとした時間を過ごすのが、常連客の楽しみ方でもある。
従って、閉店間際に入り口のカウベルが鳴る場合、今の所、理由は一つしかなかった。
「こんばんは~。……魔鈴さん、お久しぶりです」
「いらっしゃい、横島さん。注文の品はできてますよ」
入って来た一人の青年は、客の帰った店で皿を厨房まで運んでいた魔鈴に声をかけた。
魔鈴の方も立ち止まって、にこやかに挨拶を返す。
この数年で、二人の仲は、ずいぶんと気安いものになっていた。
横島は普段、レストランの休業日の昼に注文した道具を取りに来る。
だが、急ぎの場合は夜に来る事もある。
その場合、閉店した店で魔鈴と酒を酌み交わすのが、彼の習慣となっていた。
しかも、一年ほど前に、なんだか雰囲気が盛り上がりベッドインしてからは、時折魔鈴と体を重ねる事もあったのである。
横島と魔鈴の関係の変化は、事務所の四人は薄々と感じ取っていたのだが。
そもそもタマもには横島に対する恋愛感情はなく。
シロは横島と一緒に散歩や仕事ができれば何も気にしなかった。
そしておキヌは躊躇いから何らかのリアクションを取る事もできず。
美神に至っては、魔鈴への嫌悪感からいつものように虚勢を張り、その件を放置していた。
周囲をごまかせていると考えているのは横島のみ、という図式がそこに成り立っていたのだ。
魔鈴は美人で気立ても良くて金持ちでもあったが、横島は浮いた噂を聞いた事がなかった。
今の自分が恋人と言える関係なのだろうと認識してはいたが、怖くて口に出した事はない。
魔鈴の傍にいる事は、横島にとって、肉体的にも精神的にも癒されるものだったから。
関係をはっきりさせる事で、それが壊される事が嫌だったのだ。
彼女が恋人として横島を拘束するような真似をしなかったというのも、今の関係の一端を担っているだろう。
何せ、横島が美神やおキヌと連れ立って来店しても、嫉妬の一つもしなかったのだ。
もちろん、横島もただ肉体関係のみで成り立つような現状を良しとしている訳ではない。
女性と見ればすぐセクハラに走るし、節操もないように見えるが……
割と古風な考えを持っている男だったので、結婚も視野に入れてはいたのだ。
スケベなのは確かだが、例えナンパに成功したとしても、狼狽して何もできなくなる。
それが、横島忠夫という男の限界でも有り、人柄を構成している要素でもあった。
終電まではまだ時間が有る事も有り、横島は酒の誘いを受け入れた。
どうせ道具は、明日までに事務所に持っていけば良いのだ。
屈託なく喜ぶ魔鈴の微笑みに頬を綻ばせ、横島はテーブルの一つに着いた。
それなりに良いワインとチーズを持ってきた魔鈴も席に着き。
二人はテーブルの上で明々と燃えるキャンドルの上で、グラスをかち合わせる。
それから数時間、とりとめのない話題を談笑し合い、楽しい時間を過ごす。
そして終電の時間が近くなると、頬を若干染めた魔鈴がこう切り出した。
「今夜ももう遅いですし……泊まっていきません?」
滅多に自分からは切り出さない魔鈴の誘いに、横島の顔も赤くなる。
「え、あ……ああ、そうですね」
二人の夜は、まだこれからのようであった。
翌朝横島が目を覚ますと、既に魔鈴は起きて朝食の準備を始めていた。
楽しそうに食事を作る後姿に、感動のようなものを覚え。
ふりふりと揺れる形の良いお尻に、何かがむくりと湧き上がるが我慢する。
横島がぼけっとしている間に、魔鈴は配膳まで終えてしまっていた。
促されるまで意識が飛んでいた事に苦笑し、横島は席について料理を見やった。
イギリス風のブレックファストではなく、いかにも日本風な和食である。
炊きたてほかほかのご飯に沢庵。
ワカメと豆腐の味噌汁。
パリパリの味付け海苔。
半熟の目玉焼き。
温野菜の炒め物。
いつもはインスタントがメインの横島は、過剰に喜び、食事にありついた。
魔鈴も微笑みを絶やさずに、一緒に食事を進める。
この風景だけを見れば、新婚家庭そのままであった。
「えっと……今日はこのまま出勤します?」
「はい、まずは荷物を届けてから、オカGの講習に参加して……それから除霊の仕事ですかね」
食事を終えて歯を磨き、身支度を整えた横島に、魔鈴が予定を尋ねる。
これまた新婚さんよろしくネクタイの歪みを直してあげながら。
横島の方も慣れたもので、この程度では照れなくなっている。
すぐに、憶えていた今日の予定を諳んじた。
「そうですか……それじゃ、今日は会えませんね」
「ですね。まあ、仕方ないですよ」
できた、と横島の胸を軽く叩き、少し寂しそうに言う魔鈴。
横島も肩を竦め、苦笑めいた笑みを返したのだが。
俯いたままの魔鈴の様子に、かつて覚えがないほど気持ちが盛り上がるのを感じる。
今言わなければ、今度はいつ言えるのか分からない。
そんな強迫観念じみた想いに突き動かされ、おずおずと口を開いた。
「あの……魔鈴さん? 明日、大事な話をしようと思うんですが……ずっと言おうと思ってきっかけが掴めなかったんですけどね」
だが、魔鈴の顔が急に暗くなったのに気付き、口をつぐむ。
「分かってます。横島さんが何を言おうとしてくれているのか……でも、お願いですから言わないでください。私は、今の関係で満足なんですから。だから……」
横島はどういう意味か問い質そうとしたが、魔鈴は彼の背を押して退室を促す。
結局何も聞けずに、横島は事務所へと出勤した。
それから数週間、横島は状況を動かせないまま、魔鈴との時間を過ごしていた。
その話題に触れようとすると、途端に彼女の雰囲気が頑ななものになったからである。
だが、彼の忍耐も限界に達しようとしていた。
今の関係になったのは酒の上での勢いからだったが、遊びで済ますつもりはなかった。
だからこそ、責任を果たしたいと思っていたのにこれであったのだから。
「魔鈴さん。いい加減、今日こそは話を聞いてもらいますよ。もうはぐらかしたりするのは無しにしてください」
「……私の気持ちは、もうお伝えしたはずです。私は今の関係で充分幸せで、それ以上になることを望んでません。なのに、どうして蒸し返そうとするんですか?」
横島と魔鈴は今、閉店後のレストランのテーブルの一つに、向かい合って座っていた。
久しぶりに魔鈴と酒を酌み交わす機会を得た横島は、充分酔った所で話を切り出した。
素面のままでは彼女に対抗し得ない事を理解していたためである。
据わった目の横島から視線を微妙に外し、魔鈴は責めるような口振りで言葉を返す。
これ以上、この話題に費やす時間などないと、はっきりと宣言したようなものだった。
だが、横島はあきらめるつもりなど毛頭なかったのだ。
それが、彼女にとって誤算といえば誤算だったのかもしれない。
「確かに俺は、女性にだらしがないかもしれない。女を買ったのだって一度や二度でもないです。でも、魔鈴さんとの関係は……最初こそ成り行きでしたが、それ以降は自分の意思で関係を続けたんです。魔鈴めぐみという女性と、真剣に付き合っていきたいと思って」
「……何度言えば分かっていただけるんですか?全ての女性が結婚を望んでお付き合いしているだなんて、あなたの押し付けの考えに過ぎません。私は、今のまま、時々会って気軽にお話して、楽しくお酒を呑む。それだけで充分なんですよ?どうしても納得していただけないのなら、もう終わりにしましょう?」
横島は生まれてこの方これほど真剣になった事はない。
そう断言できるほど真摯に、自分の意思を魔鈴に伝えた。
だが、魔鈴の態度は頑なで、取り付く島もなかった。
思わず頭に血が上りそうになる横島だったが、思い止まる。
彼女の唇が震え、拳が白くなるまで握り締められているのに気が付いたから。
今話を進める事は、彼女を追い詰める事にしかならない。
自分がしたいのは、彼女と幸せになる事であって、苦しめる事ではない。
そう判断した横島は、とりあえずはこの話を置いておく事にした。
「……分かりました。今この話をしても水掛け論にしかならない事は。でも俺は真剣です。一生懸命考えて、この結論を出したんです。だから……いつになっても良いですから、話してください。どうしてそこまで、俺と恋人以上として付き合うのを拒むのか」
横島からそう告げられた魔鈴は、逸らしていた目をおずおずと戻した。
まるで、悪戯を叱られる事を恐れる幼児のように。
横島の目に、決して引く意思がない事を読み取った魔鈴は俯く。
しばらく逡巡していた後に、やがて力なく首を縦に振った。
「はい、分かりました。もう少し……もう少しだけ待ってください。必ずお話しますから……」
「……ありがとうございます。今日はもう帰りますね」
「……はい」
息を呑んで魔鈴の様子を窺っていた横島は、その返事を聞いて肩の力を抜いた。
そしてグラスに残っていたワインをぐっと飲み干し、席を立つ。
横島は別れの挨拶をすると、魔鈴の返事を背に、店を後にしたのだった。
それから更に数週間の時が過ぎた。
約束した以上、魔鈴が事情を話してくれると信じ、横島は普段通りに彼女に接していた。
焦りがないといえば嘘になるかもしれないが、なるようにしかならないと達観せざるを得なかったという事もある。
ある日横島が注文した除霊の道具を受け取りに行くと、魔鈴は今夜予定はあるかと尋ねてきた。
「はい。今日は除霊の仕事も入ってないんで、いくらでも空けられますが」
「では、今夜私の家に来ていただけますか?お話したいことがあるんです」
脳内の予定表を検索した横島が大丈夫だと告げると、魔鈴はほっとしたように頷いた。
これまで散々悩んで結果をだしたのだろう彼女は、いっそ穏やかな表情を浮かべている。
今夜、二人の関係に決着がつく。それがどのような形でも。
否応なくそれを悟った横島は、やや引きつった顔で魔鈴の誘いを承諾した。
そして夜。
魔鈴の家を訪れた横島は、魔界の異形な景色を眺めながら、彼女の言葉を待っていた。
しばらく彼の隣で同じように景色を眺めていた魔鈴は、ゆっくりと口を開いた。
「私は力有る黒魔女の家系に生まれました。代々近親婚を繰り返し、魔力をより純化し、強大にすること……私の家は、そのことを命題に、永い時を在り続けていたんです」
「そ、それが俺の求婚を受けられないのと何の関係が……?」
いきなり自分の家の話を始めた魔鈴に、横島は戸惑いを覚えた。
だが魔鈴は、慌てるなとばかりに、彼の瞳を覗き込む。
「私はその家に生まれた最後の魔女なんです。多くの人々の怨嗟の念に包まれて、この世界に生れ落ちた……呪われた、忌まわしい存在なんです。……子供の頃は、そんなの意識したことはなかったですけど」
話を止めた魔鈴は、横島から少し離れ、背を向けたまま空を見上げた。
少し躊躇する素振りを見せた後、再び穏やかに言葉を紡いでいく。
「でも、幾つになっても、私には初潮が来なかったんです。それで心配になって、病院で精密検査を受けました。その検査で分かったのですけど……何代にも渡って血を濃くしていった結果なんでしょうね。私の子宮と卵巣は、子供を作る機能を持っていなかったんです」
「な……!」
訥々と自分の境遇を語る魔鈴の言葉を聞いていた横島だったが、最後のくだりに声を失った。
「魔女の生きる時間は、普通の人と比べて著しく永いんです。……私は嫌だった。この世界で、ずっとずっと……ただ独りきりで……次代に想いを託すこともできず、人々に仇成す生き方をすることが。だから、黒魔女としての力を捨て、白魔女としての知識を求めたんです」
「それで良いじゃないですか! 魔鈴さんは、立派な魔女です!魔鈴さんに助けられた人はいっぱい居ます。皆魔鈴さんに感謝してるはずなんです! だから……」
悲しげに表情を歪ませての魔鈴の告白に、横島は両手を広げて反論する。
けれど、魔鈴は目を伏せて、彼の言葉を否定した。
「私はそんな立派な人間じゃないんです。白魔女として生きているのは、誰かに憎まれるのが怖かったから。誰かを傷付けて、その結果、排斥されるのが怖かったから。例え望んで得た力でなくても、その力を自分のために利用しようって……誰かに感謝されれば、自分がここにいて良いんだって思えたからなんです。白魔法の大系を追求すること。困っている人を助けること。今では、これらが生き甲斐になっているのも本当ですけどね」
自らを貶めるかのような言葉を吐き、魔鈴は顔をゆっくりと上げた。
そして、微笑みを浮かべて横島の目をまっすぐに見詰める。
「だから、私のことは遊びだと割り切ってください。そうすれば、私はあなたの傍らに居ることができる。それが欺瞞でしかないにしても、納得することができる。いつかあなたが結婚して家庭を持っても、祝福してあげられる」
「俺には……できないです」
「横島さん……!」
だが、横島には魔鈴が嘘をついているのに気付いていた。
永劫の時を一人生きる事が辛くないはずがない。
愛した人が、違う誰かのために微笑むのが平気なはずがない。
だから、横島は首を横に振ったのだった。
魔鈴の非難の叫びにも、優しい微笑みを浮かべて。
「だって、魔鈴さんが好きな気持ちは本当のことだから。ずっと一緒に生きて行きたいと思った気持ちは、本当のことだから。魔鈴さんからすれば、世間知らずの餓鬼でしかないにしても。魔鈴さんが抱えている辛い想いを、和らげることすらできないとしても。それは、俺の心の中の、ごまかしようのない真実だから」
「私は、横島さんのためを想って……」
横島の嘘偽りのない想いに、魔鈴は動揺し、そわそわと視線を泳がせる。
「わかってます。でも、それは余計なお世話です。魔鈴さんが俺のことを嫌いだって言うなら、諦めるよう努力します。でも、そうじゃないなら……俺にチャンスをください。今は無理でも、いつか魔鈴さんの心の重荷を一緒に背負いたい。もしかしたら、心変わりするかもしれない。いつかは愛が醒めるのかもしれない。だけど、それが今の俺の……今の俺に言える、精一杯の言葉です」
そんな魔鈴を力いっぱい抱きしめて、横島は耳元でささやいた。
肩口に埋まった彼女の顔の辺りで、熱く濡れた感触を感じる。
押し殺された嗚咽が、鼓膜をくすぐっている。
背中に回された腕に、ためらいがちに力が込められるのが分かる。
その全てが……魔鈴めぐみという女性の全てが愛おしい。
横島は片方の手で彼女を抱き、もう片方の手で髪を梳いていた。
彼女の中の激情が収まるまで、ずっと、ずっと……
視線を上げた横島の目に、魔界の暗い空が映っている。
だがそれも、彼女と一緒なら美しいと思える日がくるのかもしれない。
この腕の中の温かさと柔らかさを失わずにいられるのなら。
そんな馬鹿のような考えが、真面目に浮かんでしまうほど。
横島は今、幸せな気持ちを噛み締めていた。