小説
Blue
「へ~、これ恭也のなんだ」
「ええ」
恭也の目の前にいる長身の女性、アイリーン・ノアは高町家にあった一台の自転車を
何故か物珍しそうに眺め回し、あちこち触っていた。
「ふ~ん」
フィアッセのルームメイトでアイルランド系アメリカ人のアイリーンはクリステラソン
グスクールの卒業生。『若き天才』と呼ばれているシンガーである。
醒めるような青い髪に赤いイヤリング、ただ現在は一般に認識されているようなエレ
ガントな格好ではなく、ロック少年のような服を着ている。
可愛いというよりは美人の彼女。その傍でぶすっとしているように見える黒い青年、
高町恭也は静かにアイリーンを見守っていた。
「おっ、これって二人乗りできるようにしたんだー」
目を輝かせながら笑う彼女に、恭也はふと思いついた言葉をもらした。
「……………一緒に、乗ってみますか?」
「へ?」
そして今、二人乗り用シートを積んだマウンテンバイクが住宅群の中を走っている。
恭也はそのマウンテンバイクの後ろにアイリーンを乗せてペダルを漕いでいた。二人は
ちょっとしたサイクリング気分だ。
「うわぁぁ~。速い速いー♪」
後部座席の歌姫様はすっかりご満悦のようだ。
「アイリーンさん…あまりはしゃぐと危ないですよ」
「あはは。へーきへーき!」
そんな恭也はスピードを出しながらも常に周りを探ったり、安全に気を配っていた。
「………ところで、まずはどこに?」
「うーん、そうだな~……………よしっ、海沿いの道に行こう」
恭也の肩に手をかけながらちょっと身を乗り出し、指で方向を指す。何気に結構密着
していたりする。
「じゃあ、とばしますよ」
「お~。エンジン全開! いっけーー!」
更に、重いペダルを力いっぱい踏み込む。
グンっ!
「うわわっ!?」
急激な加速に、つい上体が泳ぐ。
「ほら、危ないと言ったでしょう」
「恭也……今わざとやったな~?」
「……………次、曲がりますよ」
「あー! こらぁ、誤魔化すな…ってぇ!?」
スピードが乗ったまま、角をギリギリで攻めていく。
またも慌てて、今度はしっかり恭也の体につかまって先ほどよりは事なきを得たが、
少々意地悪な運転手に文句を飛ばすアイリーン。それをどこ吹く風と、涼しい顔で黙々
とタイヤを回す恭也。
そんなこんなでちょっと変わった組み合わせの、そして(一方的に)騒がしい自転車は
それでもどこか楽しそうな二人を乗せて道を駆けていく。
「うーん、やっぱり気持ちいいなー♪」
「そうですね………」
カラッと晴れた空。太陽は暖かく、そよぐ風も心地よい。
サイクリングには絶好の日和と言えるだろう。ここからのぞく海の景色も絶景とくれば
尚更だ。
「………もうすぐ、夏ですね」
海からちょっと離れている平坦で開けた一本道。スピードの乗った自転車は主のこれ
以上の力をさほど必要とせずに軽快に良く滑る。
「ほらほら、恭也。海がキレイに光ってるよ」
「………ええ」
後ろのアイリーンは立ちながら全身で風を受けていた。片手で恭也の肩を掴まえて。
彼女の長い青髪が風と遊び、舞う。
普段車を使っている彼女はよほどサイクリングが気持ちいいのか、実に伸び伸びとして
いる。恭也は少し後ろ、後部にいるアイリーンを振り返ると、彼女は流れる長い髪を片手
で押さえながら輝く、どこか子供のような無邪気な笑顔で―――――
「………確かに、綺麗ですね」
再び前を向いて同意する。
「でっしょー! うーん、風も心地いいし……最高だねー♪」
「気に入ってもらえたようで、何よりです」
そこでふと、アイリーンはその流れ移り変わる視界の一部に何気なく捉えたその瞬間の
光景に何かが引っかかる。
「あれっ?」
「……どうかしましたか?」
何故かまじまじと恭也の顔を覗き込もうとしてくる。
「あ……うん、えっとね………いや、あたしの勘違いだったみたい」
「そうですか………?」
「そうそう♪」
誤魔化すように「あははっ」と笑うアイリーンを見て、恭也はそれ以上追求するのは止
めにしたようだ。
「………まあ、いいですけど。それより…目立ってませんか、アイリーンさん?」
「へ?」
キョロキョロを周りを見渡す。人自体は少ないが、確かに人目を引いているのは言う通
りのようだ。
「うーん…ま、いーんじゃない? そんな気にするほどの事でもないでしょ?」
そう恭也の言葉を言い捨てて終には、後部座席から小さく歌声まで聞こえてくる始末。
「~♪ ララ~♪」
そんな彼女の口遊む澄んだ声を背に、恭也の口元は珍しく、本人も気付かない内に笑み
を形作っていた。
麗らかな春の終わりの日の午後。青年と女性の二人組み。紡がれる歌声は風と共に
遥か青い海の彼方へと運ばれ、溶けていく。それは一つの幸せといえる欠片。
立つのに疲れたのか、はたまた飽きたのか、現在アイリーンは大人しくちょこんと
座っている。それに対し恭也は相も変わらず黙々とペダルを漕ぐ。
病院、学校と回り次の通過点は…さざなみ寮。
「Wow、凄いね、恭也」
アイリーンが何に感嘆しているのか? それは毎年某孤島で行われる海○高校野球部
員達の苦行の一つ、『心○破りの丘』と呼ばれるそれを―――すいません。大嘘です。
ですから赤黒く変色した染みのあるスパナを握るのは止めてください。
えー、改めて……彼女が感嘆していたのは知る人ぞ知るさざなみ寮への坂道、未だか
つて唯一人しか攻略し得なかったという坂を彼女お抱えの一日運転手、もとい恭也がズ
ンズンスイスイと登っていたからだ。それも二人乗りの状態で。
そしてさざなみ寮の前を通過しようとしたところ、門の前にいたのは………
「あっ、ゆうひー♪」
「お? なんや、アイリーンに………恭也くんやないかー」
「………どうもこんにちは、ゆうひさん」
「あはは。二人乗りでデートなんか~? いいやねー♪」
「そうそう。へへー、うらやましーでしょ~」
「アイリーンさん………」
自転車の後ろから伸ばされた細い白い腕が恭也の首にそっと伸びる。それになすが
ままの恭也。でも、こっそり憮然としている恭也がその温かで柔らかな腕の生々しい感触
から逃れようと苦心しているのをアイリーンは気付きながらも黙殺した。
理由は簡単。曰く、誰がこんな面白くて可愛いオモチャを逃しますか、とな。
「お、なんや恭也くんはラブラブのモテモテさんや~♪」
「……………………ゆうひさん」
どうにも年上と相性が悪い恭也。それも二人に包囲されていては更に分が悪かろう。
誰もいないと分かっていながらも無意識に助けを求めているのか、はたまたは何か
行動しないといけないという衝動が働いたのか、恭也は周りを見渡した。すると、
「………にゃー」
ゆうひの近くに、一匹のシャム猫が寝転んでいた。
(……………確か、次郎と言ったか)
一介の猫にあるまじき落ち着いた佇まいとどっしりとした貫禄を持つ猫は恭也と目が
合い、これまた猫らしくない仕草で目を閉じる。
「にゃー」
他人事のように、しかし楽しそうに一声鳴く。そして尻尾でタンッと地面を叩く軽い
音が。
「む……」
恭也には、なんとなくその猫が微笑ったように思えた。
「……………」
「……………」
僅かな間、一人と一匹が見詰め合っていると、
「お、恭也くんダメやでー。奥さんほっぽっといてにゃんこに浮気したら」
「違います………」
「うんうん。そうそう。だって恭也は浮気なんてしないもんねー」
「………それも違います」
「あ、恭也ってば浮気するんだ~」
「恭也くん、いくら男の甲斐性とかゆーても、浮気はあかんでー?」
「ですから………」
あはは、と楽しそうに笑う女性二人に挟まれて一人憮然とする恭也。
「………にゃー」
また、すました感じで一鳴き。先程より楽しそうな割合が強い。それに益々憮然とする。
雲は空の端。太陽は何者にさえぎられる事なく大地をどこまでも明るく照らす。周り
の緑から聞こえる鳥の鳴き声。そこから一羽の鳥が飛び立ち、彼らの頭上で軽やかに舞
い、去っていった。
「あ、この先は神社だね」
「……………一休み、していきますか?」
「うーん……そうだね。涼しそうだし」
普段は誰もいない静謐な神社。下に自転車を置いて二人が階段を上っていく。そこで
は先を行く女性が後ろからゆっくり上がってきている男性に元気な声をかけていた。
「はいっ、到着~♪」
「こちらに、いい場所があります………」
今度は恭也が先導して、ハンカチを敷く。
「あ、アリガト」
「……………」
微笑いかけてくれたアイリーンに恭也も小さな微笑みで返す。二人、並んで座って
雑談に興じることにした。
「神社とか、日本の古い木でできた建物って不思議だよねー…」
「そうなんですか?」
ゆっくりと太陽が傾いていく。
「でねー、この前フィアッセ、フィリスと買い物に行ったんだけど……………」
「……さあ、俺には分かりかねますが」
「あーあ、恭也もその場にいればよかったのにー」
「……………」
時折、街に走る車の音が聞こえてくる。そして、過ぎ去ればまた静かな森の音。
「先日のコンサート、お見事でした」
「あー♪ ありがとぉ~~!」
「妹達も………それで、よせばいいのに美由希のやつが………なのはに絞られて……」
「あははっ! そんな事があったんだ」
太陽は東から南、そして西へ。影は短から長へ。少しずつ移り変わっていく。
「それは………とても、アイリーンさんらしいですね」
「あー! それどういう意味っ!」
「さあ………?」
今日に限って誰も神社に訪れる事なく、二人、語らう。
「……………」
「恭也?」
「……………はい?」
「眠いの? なんだったら寝ててもいいよ」
「いえ、そういうわけでは」
「いつでも膝は貸すからねー。ふふ、フィーには内緒だよっ♪」
「……………ですから……」
そして、太陽が随分と傾いてきた頃。
「あはは♪ ぐっすりだったね、恭也」
「……………すいません。一人、こんなに寝入ってしまって」
「いいよいいよー♪ あたしとしてもフィアッセ達にいい土産話になるしねっ!」
「勘弁してください………」
優しい木々の葉擦れの声が彼らを楽しそうに、静かに包んでいた。
展望台。
地に落ちた影は長く、街には夕焼けのオレンジ色が一面にしかれている。
今日のサイクリング、最後の場所に二人は足を止めて広がる風景を眺めていた。
「ねえ、恭也」
「はい?」
二人、展望台の手すりに腕を預けて風に吹かれる。
「最近、いい顔するようになってきたじゃない♪」
「……………そう、でしょうか?」
「うんっ、そうだよ。随分と丸くなってきたね」
「……………」
ツイ、と恭也はアイリーンから街へ視線を下ろす。
「………俺の家は、あそこ辺りですね」
「ん? じゃああたし達のは………あっちかな」
「あそこが翠屋……風ヶ丘…海鳴大病院…ベイシティホテル…臨海公園……」
まるで一つ一つの宝物を確認するようにその無骨な指が動く。
「月村の家……赤星の寿司屋……さざなみ寮……八束神社……」
それぞれに、思い出がある。
「スクールはあっちかなー?」
アイリーンのスラリとした指が夕日からちょっと右にずれた方向を指す。
「いい眺めだねー………」
「……………」
それはきっと、小さな物語。
小さな、ほんの日常に埋もれる一日。
だけど、
だけど、
それはきっと―――――ひどく、満ち足りた瞬間。
ヒュウ。
一際強い風が展望台を駆け上る。わずかに砂埃がたち、遅れて木々がざわめく。
「風がでてきましたね…………」
「うん………さて、帰ろっか! 恭也!」
「ええ。お送りします」
夕焼けに伸びた影法師。
「あー、もうこんな時間だぁ」
「では、行きますよ」
「OK! GO~~♪」
街へと続く坂道を駆け下りる自転車。
「ねえ、恭也ぁ~?」
「はい?」
僅かに冷えた風と青い緑のにおい。
地面から繋がっている自転車の影、そこでは揺れながらも離れない二つの影。
「今日は……………ね、」
と、後ろから大きなバイクがグループで走り来て―――――
「―――――」
“楽しかった?”
けたたましい騒音にその小さい言葉はかき消される。
それでも、
「……………そうですね」
小さく光る一番星。その下を一機の飛行機が翔ける。
「またいつか、夏もいいですが秋にもどうです? 紅葉が…きっと綺麗ですよ」
太陽は街の彼方へと沈み、夜闇が迫る。チカチカと街灯が照らす道の先には無数の
蛍のような街の光。
じき、家々にも明かりが灯り、そっと消えていくだろう。
「うんっ! そうだね。それもいいね~♪ あ、今度はお弁当でも作ろっか!」
「それも………いいですね」
蒼い髪をたなびかせ、やがて二人は取り留めの無い話をしながら街へと消えていく。
そこには帰る家、家族のいる温もりがある。
―――――ああ、そうだ
ずっと、ずっと。
どうか、これからも彼らに幸せな夢を……………
まずは、私のHP:狭間の館 とのリンクをありがとうございます。
このSSはリンク記念用SSで、リンクをして下さったHPに送りつけて います。今回の送り先はKai-LapisさんのHP:SpiralSkyです。SSは使いまわし で申し訳ないですが、HPのリンク記念に贈呈いたします。
で、このSSの内容ですが…
えー、確か日本で自転車の二人乗りは2万円以下の罰金だったかと。
…………冗談です♪
当初の構成ではもっと明るいだけのほのぼのとした話だったのに、何故こうも最後 はしんみり(?)とした終わりになったのでしょう?(汗)
『Blue』は空、海、アイリーン、夏の爽やかさといった色んなものを含ませた イメージでつけたタイトルだったんですけどね~。その点ではラストの夕暮れは失敗 でしたね。
さて、いいかげんここらで締めますか。あんまり長く書くと深みにハマりそうですし。
最後に重ねてもう一度。Kai-Lapisさん、今回はリンクの件をありがとうございました。
それではここで失礼します。